今日やってた、『副署長』を見て思ったんですけどね。
今回の犯人、超悪かったんですよ。
人間的に最悪というか、友達になりたくないっていうか。
絶対に嫌なんだけど。
同時にああいう生き方って言うか、考え方できたらある意味楽な人生なんじゃないかなぁと思っちゃったあたり、私の脳みそもなかなかやべぇ。
だってさ、あれだけ自分絶対悪くない。皆社会のせいだ!
って心底、ほんっっっっとうに心の底から、一片の良心の呵責もなく思い込めたら、
周りには迷惑極まりないけど、本人だけは絶対幸せだよ。
そこに良心の呵責があったら辛いだろうけど、それがなければある意味幸せじゃないかなぁ、うん。
少なくとも目が覚めない限りは自分のことを嫌いにならずにすむし。
ひとかけらの良心の呵責もなく周りに当り散らして、そのことを後から後悔(←日本語が乱れている/笑)せずにすむなら、少なくともすっきりすることは凄いすっきりすると思うんだよなぁ。
あー、けどそこまで頑なになっちゃうと他の人の意見が聞こえないから、
とりあえず当たり散らすことは出来るけど、痛かったねーしんどかったねーって言ってくれて理解してくれる相手が見つからない事態に陥っちゃうのか。
そうなるとそれは辛いな。帰って来れないもんな。
うん、生きる上でそれは困る。
いやしかし、これで一人ぼっちぐーるぐるでいるのすら辛くなくなったら、やっぱりそれは幸せなのかしらね。
うーん。こればっかりは考えても分からないのです。
とりあえず結論は一つ。
辛いと言う字と幸せと言う字は似てる。
なんだか意味深長なことを言えばどうにかなるって信じてるんだぜ!
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